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【2026/08/18 20:44 】 |
記憶の彼方
天戒のターン。






蜻蛉が遊ぶ秋晴れの空の下、村を歩く足取りはゆったりとして、穏やかな空気が安穏と天戒を包んでいる。井戸端で洗濯をする女達、走り回る子供達。その誰もが笑顔を浮かべ、天戒を見つければ御屋形様、と口々に声を掛けて来る。

「相変わらず人気者だなぁ、天戒は」

一人一人に簡単に言葉を返す天戒の傍らで、一際暢気そうな声を発する者がいる。その男は鬼道衆に籍を置くにも関わらず決して天戒を《御屋形様》とは呼ばず、また敬う素振りも全く見せなかったが、天戒は別段それを不満に思う事は無かったし、寧ろそんな人間が新鮮で今更敬われる方が気持ちが悪いと思うくらいだった。

「お前こそそんなに子供を引っ付けて結構な事だ」
「俺はここに来て、自分がこんなに子供受けが良い事を初めて知ったよ」

遊んでくれと足元に纏わり付く子等を笑いながら見渡す男の肩には既にもう一人が乗っており、高い景色にきゃっきゃと嬉しそうに声を上げている。首の両脇でばたつく足を抑えながら、請われるまま呼ばれるまま、頭上に足元にと忙しなく視線を上下させる男を、天戒は笑いを噛み殺しながら眺めた。

「ほらお前達、御屋形様もいるんだから俺ばっかりじゃなく遊んで貰いな」

手に余ってきたのか、男が子供達に声を掛けると、子供達は互いに目を見合わせて恥ずかしそうに上目遣いで見てくる。

「…誰から乗るのだ?」

そんな子等に天戒は苦笑して、膝を曲げて自ら目線を合わせてやると、子供達は始め目をぱちくりさせたが、暫くすると賑やかに我先にと手を挙げ始めた。

「はは、やっぱり天戒には負けるな」

一気に子供が群がり、困惑しつつも一人一人交代々々に肩に乗せる天戒を男はからからと笑ったが、しかし男の方に乗っていた子供が頭上の蜻蛉を捕まえようと急に手と背を伸ばしたから、男は均衡を損なって大きく仰け反ってしまった。

「わっ…危な…――!」

それに合わせて子供はまるで振り子のように後頭部から倒れ落ちそうになり、男は慌てて子供の足から首を外すとそのまま前に抱え込み、自らの後頭を犠牲にするように後ろのめりに倒れていった。

「―――   っ…!!」

しかし天戒が案じ、咄嗟に発した筈の男の名は音にならず、次の瞬間目を開けると、そこには見慣れた天井が広がっているだけだった。

「――――………」

目を見開いたまま微動だにしない事暫し、ようやく一度だけ瞬きをすると、天戒はむくりと起き上がった。この季節の朝独特の冷気が起き抜けの身体に染みたが、しかし天戒は言葉もないまま額に手を当て俯いた。
先程まで見ていた筈の夢は既にぼんやりとして、ただ妙な懐かしさだけを残して記憶から薄らいでいく。天戒、と自らを呼び捨てていた男の顔も声ももはや靄が掛かり、判じる術はない。

「……あれは…誰だ…?」

呟いてみても何の答えも返らず、声は虚しく冷えきった空気に溶けていった。



「てめぇ龍斗!何当たり前のように人の横に座ってやがんだよ!向こう行きやがれ!」
「朝っぱらから五月蝿い奴だな。ここって言われたんだから仕方ないだろ。文句があるなら澳継、お前が移動しろ」
「なんだと!」

妙な夢の所為でいつもより随分起床が遅れた事を不覚に思いつつも、天戒が着替えて朝餉へ向かおうと廊下を歩いていると、丁度その方から賑やかな声が聞こえて来る。

「ちょいと坊や、埃を立てるんじゃないよ。折角の油揚げの味噌汁に入っちまう。たーさん、坊やが五月蝿い時は遠慮なく蹴ってくれて構わないんだよ」
「承知してるよ桔梗。こいつは蹴り甲斐があるからな」
「てめぇ!調子に乗ってんじゃねぇよ!」
「風祭、そんなに暴れ足りないなら後で俺が相手をしてやろうか?おお、ついでにお前もどうだ?龍斗」
「尚雲…、俺は昨日散々相手してやっただろ」

昨日と比べ、たった一晩同じ釜の飯を食べただけでお互い随分馴染んでいる物だ、と感心しつつ居間の戸を開けると、風祭以外の四人がさっとこちらを向いた。

「おや天戒様、今朝は随分とお寝坊じゃないですか」
「お早うございます、若」
「うむ」

外はどんなに不穏な空気が満ちていても、中ではこうしていつもと同じくにこやかに迎えてくれる腹心の二人に頷いて、次に天戒は昨日から滞在する風変わりな客人の方を見た。

「お早う天戒」
「…ああ」

目が合うと、昨日と同じく龍斗はこだわりなく笑って気安く天戒を呼び捨てて来る。そしてやはり昨日と同じく、その笑顔や声の響きはどこか懐かしさを感じさせ、もはや朧気な今朝の夢までも無意識の中で不意にだぶらせた。

「さ、早く座れよ。お前が来るまで待ってたんだからさ」
「あ、ああ…すまない」

拭いきれない違和感と妙な親近感に戸惑いは隠せず、天戒はつい目を泳がせると、思いがけずその前に座っているもう一人の客人と目を合わせてしまった。

「…涼浬、昨晩はよく眠れたか?」

天戒も良く知る兄の方とは違い、本来の性分なのか、最初来た時から口数が少なく表情にも乏しい物静かな娘だったが、妙な偶然から二人だけで言葉を交わした昨夜を思い出し、何となく話し掛けない訳にはいかなくなった天戒は、取り敢えず定型通りの事を伺ってみる。

「…ええ…お陰様で…」

そして昨夜と大差なく反応の薄い彼女だったが、今朝は心なしか表情が暗く、返事も幾分素っ気ない物だった。

「そうか…、それなら良かった」

朝に弱いのだろうか、と訝りつつも、皆を待たせた手前取り敢えず朝餉を始める為にいつもの上座に着く。
そうしてようやくいつもの面々とそれに加えた客、六人の賑やかな朝餉が始まったが、年少の二人、風祭と涼浬は黙ったままただ箸を進めていた。涼浬はともかく、先程の事を拗ねてかいつも何かと騒がしい風祭までも大人しい事に天戒は怪訝としたが、見兼ねて声を掛ける前に涼浬が箸を置いて立ち上がったから、ついそちらを見上げてしまった。

「ご馳走様でした…」
「おや早いね。ちゃんと噛まなきゃ身体に良くないよ」
「お気遣いなく。私は大丈夫です」

桔梗の反応にもやはり薄く返して、涼浬は御膳を持ち上げるとさっさと出て行ってしまった。

「血圧の低い娘だねぇ…」

桔梗はやれやれと呟きながらその背を見送っていたが、その斜め前に座っていた龍斗は、その後を追う様に急に飯を掻き込むと、あっという間に食べ終わって同じ様に立ち上がった。

「ご馳走様!」
「おやまぁ、たーさんまで」
「悪い、何か涼浬の様子おかしいからさ」

そしてそう言って軽く手を挙げると、返事も待たず龍斗まで早々と出て行ってしまった。

「…ほぅ、俺には昨日と大差無い様に見えたが」
「たーさん、あの娘の事よく見てるみたいだからねぇ。ふふ、若いっていいねぇ。ねぇ、天戒様?」

龍斗の察しの良さに感心する九桐と、意味ありげに笑う桔梗に曖昧に苦笑すると、天戒は今度こそ風祭に声を掛けた。

「それよりも澳継、先刻から黙りこくってどうした」

すると、待ってましたと言わんばかりに風祭がばしっと箸を置くと、腰を浮かす勢いで天戒に声を荒げた。

「御屋形様!何であいつはあんなに偉そうなんですか!ちょっと気を許せば調子に乗りやがって!御屋形様の事まで呼び捨てにするし、あいつは龍閃組でしょう?ついこの間まで敵だった赤の他人の癖に―――」

しかしそこまで捲し立てておいて、風祭は一瞬躊躇すると目線を下げて極小さく首を傾げた。

「…澳継?」
「い、いえ…何でもありません…」
「坊や?」

そしてそのまま勢いを無くす風祭を桔梗が訝るように先を促すと、隠す様子もなく素直に戸惑いを話し出した。

「いや、なんか…今妙な違和感が…」
「違和感?」
「…あいつ、龍閃組だよな?でも何か…何て言うか…」
「…敵の気がしない、か?」

頭を抱えながら言葉を探す風祭に、九桐がす、と声を低めて後を継ぐと、風祭ははっ、として顔を上げた。

「尚雲―――」
「若、実は俺もそれは感じていました。あいつとは幾度か交えましたが、あれ程の腕前を持つ好敵手にも関わらず、どうもすっきりこない。あいつ自体も殺気が無いし、闘いの最中にも関わらず時折見せる妙な表情も気になって仕方が無い」
「妙な表情…」

それは天戒自身にも覚えがあった。いや、恐らくどの鬼道衆の者達にも覚えがあるだろう。
天戒が緋勇龍斗と初めて顔を合わせたのは等々力渓谷であったが、あの激動の中、龍閃組にとっては許されざる状況の中で、にも関わらず龍斗だけは何故か怒りではなく憂いの色を浮かべていた。そして天戒はそれを見た時奇妙な罪悪感と、幾度か聞いた仲間達の戸惑いを思い出した。
そう、天戒は聞いていたのだ。御神鎚や雹、泰山達から龍斗とまみえた時に感じた根拠の分からぬ迷いを。
これか、と思った。例え言葉少なくとも、他の龍閃組の者達よりも強く響く声と言葉が心を動かし、鈍らされた刃に真っ直ぐに打ち付けられる殺意の欠片も無い拳は、誠意と憐れみが滲み、刃よりもやはり心に打ち付けられた。
侮辱と感じるよりも先に何故、という戸惑い。龍斗にも、そう感じてしまう自分自身の心にさえも。

「九桐…それに天戒様も、そう感じてたんですね」
「…桔梗もか」

静かに箸を置いて、溜息混じりに桔梗までもが同意を示し、室内には神妙な沈黙が降りる。
やはり奴には何かある、と確信を抱かざるを得ない天戒の側で、桔梗はぽつりと呟いた。

「一体なんなんだろうね、あたし達がたーさんに感じるあの気持ちは…」



朝餉の後もどうにも落ち着かない天戒は、少しでも気を紛らわせようと見回りも兼ねて一人村内を歩いていた。
空が曇ってからは村人の顔もそれと同じ様に精彩を欠いていたが、一度天戒を見付けると安堵したように笑って声を掛けて来る。それを見るにつれ段々と頭目としての自覚が戻って来るが、しかし一度視界の端に思案の相手が映るとつい意識をそちらに奪われ、足を止めるとその方向を見た。
朝餉の後涼浬を案じて後を追った筈だった龍斗はこちらに背を向けて、ぼけっと何も無い方を向いて一人で突っ立っていた。

「緋勇、どうした」

龍斗が何をしてもしなくてもどうにもこうにも気に掛かる天戒が呼び掛けると、龍斗ははっ、と肩を揺らしてこちらに振り向いた。

「…ぁ、天戒…」
「…?どうかしたのか?顔が赤いようだが…」
「えっ…?!」

しかし振り返った龍斗の顔は何故か赤く、それを指摘すると相手は慌てふためいて自分の頬を探り、本当に熱い事を確認すると罰悪そうに顔を顰めた。

「う…、不覚…」
「何なのだ一体。涼浬はどうした」
「どうしたもこうしたも……いやまさかそんな事ある訳が…。いやでもあの反応は…ああでもそんなまさか…」

怪訝に思って聞いても龍斗はぶつぶつと意味の分からない事を呟きながら首を捻るだけで、まるで天戒の質問に答える気配がない。赤面の相手は恐らく九分九厘涼浬だろうが、心配して追った筈がどうすればそれ程赤面する事態になるのか、天戒には今一つ見当がつかず小首を傾げた。

「緋勇?」
「…え、あ、ああ悪い。ええと…何だっけ?」
「いや…、村を見回っていたらお前がぼさっと突っ立っていたから気になって声を掛けただけで、特に用はないが…」
「そうなのか、悪い悪い。いや、ちょっとな…」

龍斗は空笑いを浮かべ頭を掻くが、ふと何かに気付いたように天戒の背後に目をやるから、天戒もつられて振り向いた。
龍斗の目線の先には、龍斗を見つけた所為でいつの間にか勝手に話を切り上げてしまっていた村の者達がいて、客人の龍斗に遠慮するように遠巻きに、しかし律儀に天戒を待っていた。

「お前は今日も相変わらず人気者だなぁ、天戒」
「…―――――」

そして正面からのんびりと聞こえた声に目を見開いて顔を戻すと、そこにはふ、と目を細め、今度は愛想でもない心から嬉しそうな笑みを溢す龍斗がいた。
また、無意識に今朝の夢がだぶった。

「お前がいるだけで、先刻俺が見た時より皆ずっと良い顔してる。流石だな」

どうあっても龍斗が気に掛かるのは、朧の中の夢と余りに重なるからだろうか。どこが、とは言えないが、感覚がそう訴えている。
だが、それでも天戒の頭の中には、どうしても目の前のこの男と一致するような記憶は無かった。

「―――…お前、俺の何を知っているのだ…?」
「…ぇ?」

そのもどかしさに、天戒は思わず聞いてしまう。
ひっそりと固く握った拳が震えた気がした。

「昨日、この村に来たばかりのお前が何故そう言える?」
「………」

すると龍斗は一瞬目を見開いたが、やがて静かに天戒を見返す。しかし微かに瞳が揺れている様に見えるのは気の所為だろうか。
そう、この瞳に桔梗達は心を動かされたのだ。

「緋勇…、本当にお前は俺達の一体何なのだ…?」

こんな事、普通なら訳が分からないと笑われるだけだろう。だがどうしても知りたい。
しかし龍斗は馬鹿にする事はなく、かと言って答えの様な物も返す事なく、小さく苦笑を溢しただけだった。
それこそ何か知っている証左にも思えるのだが。

「……たった昨日見ただけでも、俺には充分分かるよ」
「………」
「お前の人柄や周りの奴等のお前への接し方。それだけでもお前が立派な頭目だって事くらい、容易に見当がつくさ」
「緋ゆ…」
「龍斗でいいって、言わなかったか?」

天戒は更に問い詰めようと体勢を乗り出し掛けたが、それより先に腰に片手を当てた龍斗に不満そうに言われ、ぐっ、と口を噤んだ。

「……龍斗」

言い難い、と昨夜涼浬に溢したのを思い出して気恥ずかしくなるが、渋々応じると龍斗はにっこりと人好きの良い笑顔を浮かべた。

「うん、それでいいや」
「…?」

しかし天戒はその言い回しに引っ掛かる物を感じたが、追求する前に龍斗はあっ、と声を上げると目を丸くした。

「そういえば見回りって言ってたよな?俺も着いて行っていいか?ちゃんと一度ぐるっと回ってみたかったんだよ」

天戒が作った深刻な空気等もうすっかり吹き飛ばし、話は終わりだと、龍斗は明るくばしっと肩を叩いてくる。
 
「あ、ああ…。だが涼浬はもういいのか?」

その勢いに若干押されながらも、涼浬の件を思い出し一応確認を取ると、龍斗は一瞬動きを止めて、また仄かに頬を染めるとふい、と顔を背けた。

「………今はちょっと遠慮しとく…」
「龍斗?」

天戒はまただ、と小首を傾げるが、その件についてもそれ以上龍斗から聞き出せる事は無かった。







天戒様がなんだか恋する乙女に見えてきた…orz
これでいいのか外法帖…!
でも大丈夫。次回はちゃんと男らしい路線に戻る筈。そう、次でいよいよ決着が着く筈です。


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【2011/01/10 04:30 】 | その他 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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