「―――貴方は…」
真夜中の双羅山山中、ぼんやりと一日の出来事を振り返っていた涼浬に掛けられた声は、覚えのある物だった。
その影の主は妖しい灯りの元であった提灯を掲げ、灌木を掻き分けながら近付いて来る。
「ん?お前は…涼浬ではないか」
「九角…殿…」
驚いた様な声と共に影から現れたのは、鬼道衆の頭目九角天戒だった。
まさかこんな山中、しかも夜中に人に会うとは思ってもみなかった涼浬は驚きを隠せず、ただ立ち尽くす。気配に気付かなかったのは相手がそうしていたか涼浬が散漫していたか、一体どちらだろうと思うが、答えは考えるまでもなかった。
しかしその苦さは暗闇と、表情の乏しい顔からは読み取れなかったらしく、天戒はさしてそれに気付いた様子もなく怪訝そうに尋ねてくる。
「こんな時分にこんな所でどうした?今宵も月は出ておらぬのに、こんな山中に灯りも無しに一人出歩くなど危険だぞ」
涼浬の暗い足元も照らすように、天戒は更に進み提灯で二人の間を埋める。
「…ご心配なく。私は忍ですから、山にも暗闇にも慣れています」
仮にも忍に、しかも幕府の公儀隠密相手に妙な気遣いを、と涼浬は不審に思うが、やはり天戒は気付く様子もない。
「成程な。だが、ここはただの山ではない。俺達以外にも鬼は棲んでいるのだ、気を付けるに越した事はない。お前に何かあると奈涸と緋勇がひどく心配するからな」
「……はい…」
そう言われてしまえば頷くしかない涼浬だが、そういえば、と天戒と同じように相手を見る。
「…九角殿こそどうしてこのような場所に?こんな時分に一体どこへ…」
「何、少々眠れなくてな。落ち着かぬから見廻りに出てみたまで。柳生の所為でこの辺りも以前より陰気が強くなった気がするからな。だが、もうそろそろ戻ろうと思っていた所だ」
「そうですか…。では私の事はお気になさらず、どうぞ行って下さい。私はもう暫くここにいますので」
言いつつ、涼浬も丁度もう戻ろうとしていたのだが、何分この流れでは天戒と二人きりで道中を供にする事になりそうで、それは何とも気不味い話だと咄嗟に嘘を吐く。やはり龍斗がどう言おうと涼浬には鬼道衆をまだ信用出来ないし、何より兄を除けば天戒も含めその他全員人柄もほとんど無知に等しいのだから、気安く思えというのも無理な話だ。今も正直に言えば、こうして立ち話をしているだけでも涼浬にはかなり気不味い。
早く立ち去って欲しいという願い通り、天戒はそうか、と頷いてくれたが、しかしすぐには踵を返さず何やら渋るように眉間に皺を寄せ、空いてる手で顎を抱え込んでしまった。
「…どうか?」
その脈絡の無い仕種に怪訝として涼浬までも眉間に小さく皺を寄せると、天戒はいや、と口籠り、目を泳がせる。
そして暫しお互い無言のままその状態が続いたが、思ったより変な人だ、と涼浬が呆れ始めた頃に、ようやく天戒は口を開いた。
「…その…戻る前に一つ、聞きたい事がある…」
天戒は躊躇いがちに、酷く言い辛そうに涼浬を見て来る。
「お前は…緋勇とは随分、親しいようだな…」
「………」
確か午間も同じ様な事を聞かれた。
涼浬は特に返答はせず、ただちらりとだけ視線を外す。龍斗と親しくしているのはその通りだが、そんな殊更に言われる程目立っているのだろうか、と。確かに彼には何故、と不思議に思う程可愛がって貰っているという自覚はあるが。
そんな涼浬の困惑を余所に、天戒は意を決したように固い声を出す。
「教えて欲しいのだ。緋勇とは、どんな男だ?」
「――え…?」
奈涸には無かったその問い掛けに驚いて思わず視線を戻すと、涼浬はぽかん、と口を開く。その表情には流石に気付いたのか、天戒ははっ、とすると、罰悪そうに顔を顰めた。
「む、否…妙な意味ではなく…、純粋に気に掛かるのだ」
天戒は涼浬の脇を抜け川辺に寄ると頭を俯ける。振り返って見たその背は、午間に感じた偉丈夫さは無く、どこか頼りなく見えた。
「…あいつは、不思議な空気を持っているように思う…」
「……はい」
そして呟かれた科白は、また午間と同じ様な物。
「そしてそれ以上に、俺にはどこか懐かしい…」
「…―――」
ああ、と涼浬は目を瞑る。握った手に力が入ったのが分かった。
「柳生と対峙したあの夜…俺は緋勇に腕を叩かれた。今まで…あんな風に俺に接する奴を俺は知らない。だが、不思議と違和感はなかったのだ…」
天戒は龍斗に叩かれていた場所を握る。
「寧ろ俺はもっと前から奴を知っていた様な…、肩を並べていたような…、そんな気さえしたのだ…」
「――…」
やはり、気の所為ではない。涼浬は天戒の背を見つめる。
やはり天戒と奈涸と、鬼道衆は龍斗に関する記憶の一片をまだ持っている。それはきっとひどく朧気で形があるかないかも分からない程だろうが、涼浬が龍斗と初めて会った時、感じなかった懐かしさを確かに彼等は感じている。
涼浬は微かに頬を緩め、ゆっくりと口を開く。
「――龍斗さんは、とても強くて優しい方です」
「………」
「誰にも分け隔てなく優しくて…、けれど、肩を並べる相手は選ばれます」
天戒はは、としてこちらを振り向く。
「それに届かない人は背中に庇われ、まるで当然のように自らを盾にするのです」
残念だが涼浬もそうして護られている。逆に護りたいとは思っているのだが。
「そして寂しがり屋で、欲張りで…」
「そう…か…」
「だけど九角殿…、私の意見より、どうかそのまま龍斗さんを見て差し上げてください。あの方は嘘の無い方ですから、九角殿が感じたそれがそのまま緋勇龍斗という人であり、真実だと私は思いますから」
「…―――」
天戒は目を伏せがちに、黙ったまま立ち尽くしている。
涼浬は戸惑っているのだと理解したが、こちらから勝手に答えを言う訳にもいかない以上、せめて何か取っ掛かりになるような助言をする事しか今は出来ない。
ただ、天戒は奈涸とは違い懐かしさの原因を確かに訝み、龍斗を知ろうとしている。これはひょっとしたら記憶を引き寄せる大きな一端になり得るのではないか。
そしてその姿勢から、涼浬はかつての天戒の、龍斗に対する想いの一片を垣間見る。この二人にどんな出来事があり、どんな関係を築いていたかは知らないけれど、そこには確かに強い絆があったのだろうと。
「…涼浬」
「…はい」
天戒は顔を上げ、雲の掛かる暗いだけの夜空を見上げる。星も月も無い天に少し寂しそうに笑いながら、それでもはっきりとした口調で言葉を紡いだ。
「あいつは、良い奴なのだろう」
「はい」
涼浬も強く頷くと、天戒もまた力強く頷いた。
「俺にも、それだけははっきりと分かる―――」
――貴方は、やはり凄い。
涼浬は心の中で龍斗に感嘆の念を篭めて呟く。しかしこんな時に、どうし龍斗はこの場にいないのか。この話を聞けばきっと凄く嬉しがっただろうに。
「…さて、では俺は戻るが、余り遅くはならんようにな」
「心得ています」
「うむ」
天戒は顔を下ろし仕切り直す様に片手で襟を直すと、涼浬の脇を抜けて、来た道に引き返す。
涼浬も振り返ってその背を見送ろうとしたが、しかしある事を思い出し、あ、と天戒に声を掛けた。
「九角殿」
「…?」
天戒は立ち止まり、半身だけ振り返ると、何だ、と問い掛ける視線を向けて来る。
「龍斗さんの事ですが、名前で呼ぶのは止めたのですか?」
「……!」
「名前で呼んでも良い、と、午間そう仰っていましたよね?」
午間、龍斗は奈涸にも言った様に天戒達にも会って早々名前で呼んでいい、と言っていた。その場は天戒もそれに応じていたように記憶しているのだが。
そう言うと、天戒は罰悪そうに口許を抑え渋い声を出す。
「…そうだったな。だが、龍斗、は妙に言い難い…」
「は?」
「緋勇の方がまだしっくり来るのだが、これも妙な話で、どこか違う気もしているのだが…」
「はぁ…」
突然これは意味が分からない、と涼浬はぽかんとするが、どうやら天戒は真剣な様だ。
「お前は、言い難いと思った事はないか?」
「いえ…私は特に…」
「そうか…、ではこう感じるのは俺だけなのか…」
「そう…なのでは?」
涼浬は半ば呆れて天戒を見ていたが、天戒は難しい顔をしつつも一度頭を振ると苦笑を浮かべる。
「…まぁ、人の大切な名前を訝るのも失礼な話だな。忘れてくれ」
「はぁ…」
「さて、他にはもう何も無いか?」
「え?あ、はい…」
答えを聞けた事になるのかどうかは分からなかったが、そういえばわざわざ引き止めたのだと思い出し、涼浬はどうぞ、と行くように促す。それに天戒は頷いてまた背を向けたが、ああ、と今度は自分から軽く振り向く。
「今宵の事は、礼を言う」
太い笑みを浮かべる天戒に涼浬は戸惑って視線を彷徨わせる。天戒はそう言ってくれるが、寧ろ自分はきっと龍斗の為にしたのだろうと思い当たり、やや恥ずかしさを覚えつつ呟く様に言う。
「いえ、私は何も…」
「そうか…」
天戒はそんな涼浬に軽く首を傾げたが、ふ、と笑うと、ではな、と今度こそ本当に暗闇に消えて行った。
涼浬は遠くなって行く提灯の灯りを見送りながらほっと一息吐くと、川辺に戻った。
「龍斗さんも存外見る目が無い…」
無理強いは出来ないなんて、どうやらそんな事も無さそうだ、と涼浬は苦笑を浮かべる。
しかしそれにしても、思わぬ形で心情を聞く事になってしまったが、どうやら龍斗の言う通り、九角天戒という男は想像していたよりもずっと人間らしい感情を持っているらしい。龍斗の贔屓目を除いたとしても、先程垣間見せた弱さと、今日見た限りの他者への気配り。桔梗達や村の者達も彼を信頼している様子がよく伝わって来たし、これは認識を改めざるを得ないのかもしれない。
しかし考えてみれば、その事はもっと前から涼浬に教えられていたのではないか。他でもない、今目の前に流れるこの水に。
涼浬はそっとしゃがみ込んで冷たい川に手を浸す。もう冷気で慣れた筈の手にも、双羅山の冬の川は更に刺すような冷たさだったが、綺麗に澄んだこの空気同様研ぎ澄まされたこの冷たさも、この川が清らかな証拠で。水はその周辺の環境を教えてくれる要素である事を特によく知る飛水の者であれば、容易にここが大切に守られて来た場所だと判る。
今迄の彼等の事を思えばどこか複雑だが、けれど確かな安堵感。天戒達が龍斗があれだけの想いを寄せるに足る者達で、本当に良かった。
涼浬は遂に両手とも浸して水を掬い上げる。掬い上げた傍から水は指の隙間を抜けて流れ落ちて行くが、後の掌にもちゃんと水は残っている。
早く、龍斗に教えてやろう。
――どうやら、貴方が思う程まだ絆は消えていない。
終
今回まさかの異色コンビでお送りしました(笑)
天戒様は真神組以外の龍閃組にはどう接するか全く分からんでした。
そして涼浬さんはもう龍斗さん以外はどうでもいい的な勢いになりつつあるような…。これでまだ好きじゃないとか言ったら鈍感にも程があるんですが、そこはまた別で補完したい所であります。う〜ん…涼浬は忍なんだし、任務関係で男女の事も色々手解きとか受けてそうな気はするんですけど、どうも初心なイメージが…。いや、知ってはいるけど自分に置き換えられないとかかな?あぁ、でもなんか涼浬はそういうの淡白なイメージも…(ry
さて、次の展開はどうしようかな。まだオチが決まりません…(´・ω・`)
[3回]
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