――お前の役目は終わったのだ。安心して眠るがよい。黄泉の国にて待つ両親の元でな。
さらばだ、緋勇龍葉よ―――
道心の結界を破り、龍葉の前に悠然と現れた全ての黒幕、柳生宗崇はそう言い放ち、その凶刃を振り上げた。
光源もないのに不気味に輝く白刃。何をする間もなく、まるで死神の断罪を受けたかのようにそれは龍葉の身体に深々と食い込み、視界は赤い霧に覆われた。
感じたのは痛みよりも熱だった。傷口から広がる、身体を焼き尽くすような熱。
龍葉は衝撃と、やがてくる痛みから自らを守る為、その意識を手放した。
視界を閉ざすその瞬間、聞いたのは誰の声だろうか。
ただ後に響くのは、勝利に悦ぶ男の高笑いだけ。
広がる絶望、闇に包まれる意識、もはや龍葉に逆らう術など無かった――――
――翡翠よ、よく聞くがいい。お前には、果たさなければならぬ使命がある。
――心を動かされるな…。無の心を忘れるな。
――お前には使命がある事を、努々忘れるでないぞ。よいな、翡翠―――
夜も更けた頃、静かな部屋で一人、如月ははっ、と目を覚ました。
「――…御祖父…様…?」
頬杖を外し、ぽつりと呟いて辺りを見回すが、如月骨董品店の住宅部にはやはりいつものように誰の気配もなく、部屋はしんと静まり返っている。
「…夢…か……」
どうやら居眠りをしていたらしく、如月は苦笑すると、気を取り直して手元に広がる付け掛けの帳簿に目を落とした。しかし数分もしない内に再び手は止まり、如月は蘇る祖父の言葉に思考を奪われた。
――心を動かされるな。無の心を忘れるな…。
幼い頃から幾度となく聞かされた東京を護る為の《忍》としての心得。
今まで忠実にそれを守り、胸に刻む度思い出したのは、祖父との厳しい修行の日々だった。あの日々が今の自分を形作り、あの日々があったからこそ揺るぎ無い心と力を我が物に出来たのだと、邪な者に一人立ち向かう決意をいつも与えてくれた。
しかし今脳裏に浮かぶのは、如月よりも遥かに大きな宿星を背負うのだろう少女の顔。
何事にも心を囚われてはならない。そう思う度浮かんではちらつくその笑顔に、いつしか心は揺らいでいた。
今この時にまた祖父の夢を見たのは戒めだろうか。心を無にし《飛水》の使命を果たせ、と。
しかし今一つ如月が持つのが《玄武》の宿星だ。
緋勇龍葉、彼女から感じる大いなる運命のうねりは、そう遠くない最後の闘いの時、数多の宿星を束ね、東京の、この国の未来を彼女が一身に背負うだろう事を強く予感させる。
ならば星が定めるもう一つの使命は、彼女を護る事だろう。彼女の運命に巻かれた星の一つとして彼女を護る事、それが引いては東京の安寧を護る事にも繋がる筈だ。
ただ問題はそこに特別な心が入るか否か。それこそが祖父が最も諌める《飛水》の者として犯さざるべき愚行。
一人の人間として彼女を大切に想う気持ちに偽りはないが、宿星と彼女、はたまた使命と彼女。秤にかけた時、果たして自分はどちらに重きを置くのだろうか。
「………」
思考の渦に嵌まり、完全に手が止まった如月の視線は帳簿を外れ、虚空に明後日の方向を見つめた。
静かな静かな空間に、電話のベルが響いたのはその時だった。
「―――……」
闇を揺らし、龍葉は重い瞼を持ち上げた。同時に入り込む光は闇に慣れた目に眩しく、思わずしかめると軽く呻く。
「――…龍葉?」
その微かな声に応える人影が在る。
は、と顔を上げたその人物は大きく身を乗り出すと、龍葉を覗き込み驚いたように二、三度瞬いた。
「目が…覚めたのかい…?」
「――……く…れは……くん…?」
渇いた口内に舌が貼りついて舌っ足らずになるが、龍葉は小さく頷いて、未だ夢見るようにぼんやりと壬生を見た。
「良かった…もう四日も意識が戻らないから…。皆、ひどく心配していたよ」
「…四…日……」
覚めきれない思考で呟くと、白い天井に視線を漂わせる。
「…ここ……」
「ここは桜ヶ丘病院だよ。今は学校でいないけど、蓬莱寺君達が運び込んでくれたらしい。かなり危険な状態だったけどちゃんと院長先生が治療してくれたからもう大丈夫だ。傷の治りも信じられないくらい早いって皆驚いていたよ」
身体を戻し苦笑する壬生に龍葉はまた小さく頷くが、壬生は一転表情を暗くすると、白いベットに置いた拳をぎゅっと握り締めた。
「…でも、それでも僕は奴がした事を到底許せそうにない…。柳生宗崇…君をこんな目に遭わせた奴をね…」
「…柳生……」
思い出したようにぽつりと呟いた龍葉の脳は、フラッシュバックのようにあの日を反芻する。
「…自分でも不思議だよ、誰かを傷付けられてこんなに腹が立つなんて」
一年前、大切なモノを護るため龍葉は闘いの道に足を踏み込んだ。
「…僕だけじゃない。連絡を受けて病院に駆け付けた皆も憤っていたよ」
そうしてこれまで幾つもの死線を潜り抜け、結果命を奪う事で自分自身もその因果の輪の中にあるのだと、覚悟もあったつもりだった。
けれどなす術もなく容易く斬られたあの時、初めて本当の《死》を意識して、龍葉の心は恐怖と絶望に震えた。
もう大切な人達に会えなくなるとかそういう感情の類ではない、もっと本能的な、ただ死にたくないという強い強い思い。
――恐い。
「…ああそうだ。目を覚ましたなら先生を呼ばなくちゃいけないね。それと、館長にも連絡しておいたよ。ご両親には館長から何かしら連絡が行っていると思うけど、龍葉も後で…」
話しながら壬生はナースコールに手を掛けるが、ベッドに着いた手にゆるゆると細い指が絡められるのに気付き、驚いて手元に目を戻す。弱々しい力でぎゅっと握ってくるそれは震えていて、視線を転じれば龍葉は同じように震える瞼できつく目を瞑り、唇を噛み締めて泣いていた。
「龍葉…―――」
「…ふっ……ぅっ………」
嗚咽を堪え、ただぽろぽろと涙を溢す龍葉。斬られた肩とは反対の腕は動くものの、点滴が刺さっているのだから辛いだろうに、それでも懸命に曲げて手に縋ってくる。
余程恐ろしかったのだろう。助かった事への安堵と、それ以上に死と直面した恐怖。相反する感情が交錯する不安はいくばくか。
壬生は推し量るに余りある龍葉の心境に苦く眉間を寄せると、ぎゅっと手を握り返し、ナースコールを押すとそっと龍葉の頭を撫でた。
そうして慰めながら壬生は四日前、この白い病室に響いていた、今にも絶えそうな程緩かった電子音を思い出す。
黒いモニタに写し出された、頼りなく脈打つ緑の電光線はそのまま彼女の鼓動を表し、それでかろうじて生きているのだと判る程、ぴくりとも動かなかったその身体。はめられた人工呼吸器や掛け布団から少し覗く肩を覆う包帯、身体から伸びる無数の管やコードも痛々しく、壬生は抑えられない苦渋に顔を歪めていた。
その時から思えば驚異的な回復力でここまで回復した龍葉。しかし今のこの様を見ると、感じるのは安堵よりも悔しさだ。
ただ正直に天真爛漫に生きていた彼女にこんな目を見せた柳生。それ以上に護れなかった自身の不甲斐なさ。その場にいなかったからなんて言い訳にはならない。壬生も、他の仲間達もいつだって龍葉を、その笑顔を護りたいと思っていたのに。
「たっちゃん~!」
壬生が改めて悔しさを噛み締めていると背後の扉が開き、特徴的な高見沢の声が響いた。
「たっちゃん目が覚めたの~?!よかったぁ~」
龍葉の様子を認め、高見沢は嬉しそうに近寄って龍葉を覗き込むが、泣いていると知ると壬生同様龍葉の頭をなでなでと撫でて優しく微笑む。
「たっちゃん泣かないでぇ~。もう大丈夫だからぁ。舞子がちゃあんとお世話して治してあげるからねぇ~。たっちゃん一杯頑張ったんだから次は舞子が頑張る番だよ~」
「っ…舞子…ちゃん……」
壬生には到底真似出来ない慈愛に満ちた微笑は、止まらなかった龍葉の涙を緩めてみせる。白衣の天使というに相応しい高見沢のそれに壬生が感心していると、背後からもう一つの、今度はのしのしとした足音が聞こえてきた。
「全く…助かったんだからメソメソ泣くんじゃないよ。みっともない」
「あっ、先生~」
煩わしそうに、辛気臭いとでも言いたげにその巨体を揺らし入ってきたのは、この桜ヶ丘病院の院長で世界屈指の霊能治療者、岩山だった。
岩山は高見沢を押し退けると、泣いているのにも構わずぞんざいに龍葉の額に手を当てた。
「…まだ熱はあるようだね。だが目が覚めたならもう安心だろう。高見沢」
「は~い」
美少年好きの岩山は基本的に女が嫌いらしく、どうやら龍葉もその例に漏れてはいないらしい。岩山はそのままぴしゃりと龍葉の額を軽く叩くと、高見沢ともう一人の看護師にあれやこれやと指示を出し、着替えもするらしく壬生は追い出されてしまった。
「舞子ちゃん…今日って23日だよねぇ…?」
軽い検査と包帯を取り替え、ようやく涙も落ち着いた龍葉は身体を拭いて貰いながらぽつりと訊ねる。
「そうだよっ。あっ、そっかぁ!今日はたっちゃんの誕生日だねっ。舞子後でケーキ持ってきてあげるねぇ~」
高見沢はにこにこと応えるが、龍葉は曖昧な笑みだけを返すと窓の外に目を馳せた。
病院の庭にはささやかだがクリマスのイルミネーションが施されており、普段は枯れて寂しさを感じさせる庭木達も今の時期は華やかだ。いつの間
にか明日はクリスマスイヴ。きっと街も、どこもかしこも一層賑わっているに違いない。
しかし何より今日12月23日は、龍葉の18歳の誕生日だ。龍葉が生まれ、そして恐らく龍葉を産んだ母が死んだ日。
「っ……―――」
龍葉はきゅっと唇を引き結んだ。
この数日で知った色んな事。本当の両親の最期や出生の秘密、そして自身の宿星とそれに伴う大きな使命。父のようにその使命を果たそうとすれば死ぬ事があるのだと、母のようにその宿星の為に死ぬ事があるのだと、柳生の手によって身をもって知らされた。
次に対峙する時、今度こそ殺されるかもしれない。その時自分には何が出来るのだろう。その為に何をすべきなのだろうか。
――一体今、何をしたい?
「…龍葉?」
病室に戻った壬生は辺りを見渡し呆然と呟く。
温もりだけを残して裳抜けの殻となったベッドに放置された点滴の針。椅子に置いていた壬生のコートも姿を消して、漁った跡が残る龍葉の褐色に汚れた通学鞄。
それらが物語る状況に流石の壬生も焦りを隠せず、蒼白すると身を翻して足早に病室を後にした。
「まだ…遠くには行っていない筈だ…!」
壬生は走りながら頭の中で時間を組み立てる。
病室の外で治療を待つ間、ロビーで缶コーヒーを飲んでいた。暫くすると高見沢が呼びにやって来て、コーヒーを飲み干して捨てて、そして病室に向かう。その間僅か五分あるかないか。
幾ら回復が早くてもまだ満足には動けない身体だ、看護師や壬生の目を掻い潜って行ける範囲なんて限られている。少なくともまだ病院内にはいる筈だ。
思いつつ壬生はふと、寒くて首に巻いたままだったマフラーに気付き顔をしかめる。
少し寒くてもこのマフラーも外しておけば良かった。どこへ向かったのか知らないが、まだ目覚めたばかり。完治していない上に熱もある身体で、この真冬の寒空の下にコートだけで出るなんて無謀過ぎる。
それにもし、今敵に狙われでもすれば。
「―――龍葉…!」
「壬生!」
ぎりっと歯を噛み締め階段を降りかけた所で、壬生は知った声に呼ばれて振り返る。
「どうしたんだよ?血相変えて」
廊下から踊り場を覗き込んで来たのは、学校終わりの京一を始めとする真神の面々だった。四人共一様に不思議そうな顔で壬生を見ている。
「蓬莱寺君…」
「何かあったのか?」
心強い援軍が現れてくれた事に壬生は僅かに安堵する。
きっとこれで、龍葉を見付け易くなる―――
一方、そんな心配を掛ける事を分かってはいるが、焦れるような衝動に駆られる龍葉は、壬生が慌てて自分の病室から出ていくのをトイレから確認すると、勝手に拝借してしまった黒いロングコートを前で掻き合わせ、そのままそっとナースステーションの前を通らずに済む反対方向の階段へと向かう。そして人気がない事を確認すると一気に駆け降り、救急用の入り口から外へ抜けて、雪雲が重く垂れ込める鈍色の空の下に飛び出した。
「ごめん…紅葉くん……みんな…――」
その想いは強く、ただ北に馳せるままに。
続
本当は一話でまとめる筈だったんですが、中々書きあがらないのと量が多いのとで、二話に分ける事にしました。だからとりあえず仕上がってる分で切の良い所までという事で。でも書いてる内にまた修正したくなるかもしれないですが…(汗)
で、話は何故か一気にシリアスな感じに。でもその分色々進展はしますよ。
ちなみにこれの更新日は、まさにこの話と同じ12月23日です。しかしもう剣風の時代は10年前になるんですね。京一達はもう28歳か…。
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