十月も半ばを過ぎたある日、学校から帰宅した如月はいつものように開店準備をするため鞄を置いて店舗の方へ向かうが、その途中ふと足を止め、目についたカレンダーを不機嫌そうな目付きで見遣る。
「…もう半月。何なんだ一体」
一人呟いて、如月は苛立つように乱暴に昨日の日付に×を付ける。しかし18日が埋まると丁度その真下、一週間後の25日に付けられたピンクの花丸印が一層目に入るようになり、如月は更に顔をしかめ忌々しく数字を睨み付けた。
花丸印の10月25日は他でもない如月の誕生日だった。毎年別段意識する訳でもないこの日だが、今年は少しばかり違っていて、本人よりも嬉しそうに勝手に印を付けていった少女がしきりに一緒に過ごしたい等と騒ぐから、やたら気に掛かるというか煩わしかった。
しかし今如月が気に掛かっているのはその少女の方で、彼女は最後に会った、確か十月に入ってすぐの日曜以来どういう訳か、ここ半月の間ぱったり姿を見せなくなった。あれだけ如月の誕生日を楽しみにし、それ以前からも四日と空けずに店に顔を出しに来ていたにも関わらずだ。
如月的には別に顔を見せて欲しい訳ではないが、あれだけよく飽きもせず頻繁に来ていた顔がいきなり見えなくなると、それはそれで何か物足りないような気がしてしまう。
「…いや、何を馬鹿な」
如月はついそんな事を感じてしまう自身に馬鹿馬鹿しいと頭を振るが、好きだとか言って先に近づいて来たのはどっちだ、と内心毒づいてみる。
「…本当に馬鹿らしい」
しかし聞く相手のいないその毒の虚しさと労力に気付くと、ようやくカレンダーから視線を外し、如月は店を開けに表へ向かった。
手早く店を開け、簡単にお茶を淹れると縁側に座布団を敷いて座り、一口啜って如月はようやくほっと一息つく。
「…やはりここが一番落ち着くな」
如月が請け負い、実行委員を務める文化祭はまだこれからだったが、こうして今日のように早く帰れてここでゆっくりお茶を飲んでいると、柄にも無く自分の居場所へ帰って来たと安心する。自ら望んだ役とはいえ、その仕事のお陰で最近は休日以外余り店を開けられなかったから、尚更いつも以上にこの時間が心地良い。もっとも今日が終わればもう文化祭までは一週間もなく、終わるまでは店が開けられないくらい怒濤の放課後が始まるのだが。
「…そういえば25日が最終日じゃないか…」
しかし一時の休息を与えてくれた実行委員の相方、橘朱日に感謝しつつも如月はふとそれを思い出し呟く。
そう、王蘭学院の文化祭は今週の土日で、最終日の日曜は如月の誕生日と被るのだった。
「…なんだ、何にしろ無理じゃないか」
如月は我知らず脳裏に浮かぶ無邪気な笑顔に皮肉な笑みを向ける。最終日なんてそれこそ忙しくて誰かと過ごすなんて不可能だろう、と。もっとも今は例え一緒に過ごせても過ごせなくても、彼女がそれまでに如月の前に姿を現すのかは不明だが。そう思えば本当に身勝手な話である。
「……て、彼女の事はいいんだ」
気付けばいつの間にか再び苛立ってきてしまっている事に如月はまた軽く頭を振ると、気を静める為にお茶の香りと古い我が家独特の木の匂いを吸い込みながら、ゆっくり目を閉じた。
そういえば実行委員をする前は毎日当たり前のようにここでこうしてお茶を飲んで、商品を磨いたり客や同業者と骨董の話に花を咲かせていたのだったか。だがそれもこの夏以降はある人物に邪魔されがちだったのではあるが。
「……店を閉めている時に来ていたのかもしれないな…」
なるべく開けるようにはしていたが、タイミングが悪かったのかもしれない。
如月は遠ざけようとした思考に三度はまっている事にも気付かず、もう一口お茶を啜ろうと湯飲みを口許に運んだ。しかしその時、入口の方から賑やかな声が微かに聞こえてき、如月はふいと顔を上げた。
硝子戸の向こうに現れたのは見慣れた制服を着た数人の男女。如月がそれを認め迎える為に湯飲みを置くと同時に、その内の一人、長い包みを担いだ学ランの少年が開いてるじゃねぇか等と言いながらガラっと戸を開けた。
「よぉ、邪魔するぜ如月」
「―――やぁ、いらっしゃい」
ほら、やはりタイミングが悪かったのだ、と如月はやれやれと苦笑して、後に入ってくる少女達に目を向けた。
「こんにちは、如月君」
「おっす。今日は開いてるんだね。良かった」
「ああ、すまないね、僕の都合で迷惑を掛けてしまって…」
店に最初に入って来たのは真神学園の京一と醍醐。そして後に同校の葵と小牧が続き、この面子が揃えば必ずいる筈の最後の一人が、如月の頭痛の種である少女だった。
「…?」
しかし如月は葵達の後ろを見遣りながら目をしばたかせると、首を傾げる。いつもなら真っ先に飛び込んでくる筈のその彼女だが、今日は彼らの後にも先にも一向に現れる気配がない。
「…龍葉は一緒じゃないのかい?」
肩透かしを喰らったようで思わず訪ねると、えっ、と小牧は小さく跳ねて、気不味そうに目を逸らすと頬を掻いた。
「え〜っと…その〜…」
「…?何だい?」
「たっちゃんも誘ったんだけど、今日はもう帰っちゃったんだ…」
「へぇ…」
如月は何事もないかのように呟くが、そんな風に言われると先程までの思案と相まって、流石に何かしたのだろうかと、少々不安になる。
するとそれに追い討ちを掛けるかのように木刀を物色していた京一がわざとらしく一人ごちた。
「最近のたっちゃんは誰かさんの所為ですっかり元気なくしちまってるからなぁ…」
その呟きに今度は何でもないという訳にはいかず、如月は片眉をぴくりと上げると京一を見遣る。
一瞬尖るその気配に小牧はぎょっとして京一に咎める声を出す。
「ちょ…!京一っ!」
「…その誰かさんって僕の事かい?僕が龍葉に何かしたと?」
小牧には構わず京一は意味ありげな視線を如月に投げると、ふん、と鼻を鳴らす。
「言葉通りだよ。お前が暫く他の女子とよろしくやるから来るなって言うから、たっちゃん拗ねちまってんだよ」
「は?他の女子?」
如月は怪訝とする。
「なんだっけか?実行委員を一緒にやるとかいう〜…」
「まさか…橘さんの事かい?」
「ああ、そうそう」
「……成程ね」
如月は京一のお陰でようやく事情を理解し、覚えた頭痛に軽く頭を押さえる。これまでの疑問は一気に解消されたが、それはまたそれで新たに厄介な問題になりそうな事象である。
確かに最後に龍葉と会った時、如月は朱日と一緒にいた。その時の会話の細部までは覚えていないものの、――いつもの事だとも思うが――折角やって来た彼女に素っ気ない態度を取ったかもしれない。自分を好きだという龍葉なら尚更それに思うところがあったのだろうという事くらいは想像出来るし、今思えばあの時の龍葉の表情も精彩に欠いていたような気がする。
「…だが別に僕は相手が出来ないと言っただけで、来るなとは言ってない筈なんだが…。そもそも橘さんはただのクラスメイトだ。そんな事くらいで…」
如月にしてみればまさにそんな些細な事でしかなく、しかも今までおよそ嫉妬等という感情と関わった覚えがないものだから、勝手にそれを向けられる理不尽さと馬鹿らしさ、そしてそれを知るまでに取られた気苦労を思い出し、一気に辟易してしまう。
「まぁお前の気持ちも分からねぇでもねぇけど、ともかくたっちゃんはお前の所為でご傷心って訳だ」
「それにしたってそれで姿を見せなくなるなんて随分極端な話じゃないか」
「極端から極端へ走るのがたっちゃんだろ」
お前に関しては特にな、と付け加え、京一は木刀の物色を再開する。
しかしそんな男達の言い分を面白くなさげに聞いていた小牧は不満の声を上げた。
「さっきから聞いてれば…男子ってこれだから」
「あ?」
小牧はびしっと人差し指を京一と如月に突き付ける。
「好きな人が他の子と仲良くしてるのを見るってのは、男子にとっては些細な事でも女の子にとっては重大な事なんだよ!付き合ってるならまだしも片想いなら尚更不安に思うもんなんだ!」
「それを言うなら男には男で女には分からねぇ考えっつーのがあるんだよ。例えば昔からあるそこに女湯があれば覗きたいっていう男の心理、女には理解出来ないだろ?なぁ如月、醍醐?」
如月に代わって受けて立った京一は、その場の男子に同意を求めるが、これには二人共目を逸らしてしまう。
「京一、俺にそういう話を振るな…」
「その例えはどうかと思うよ…」
「なんだよお前ら!ノリ悪ぃな!」
悪びれるどころかふざける京一に小牧はプルプル肩を震わすと、一層声を大にして怒鳴る。
「人の真剣な悩みを覗きと一緒にするなー!ボクはそういう女の子の気持ちも少しは考えてあげてって言ってるんだ!」
「俺に怒鳴るなよ」
「下らない事言ってるのは京一だろ!」
そうしていつものように口喧嘩を始めてしまう京一と小牧を苦笑気味に見ながら、今まで静かに見守っていた葵が如月に向かう。
「如月君、確かに龍葉の反応は過剰に映るかもしれないけど、それだけ龍葉は如月君の事に真剣なんだと思うわ。…龍葉は器用で頭も良いけれど、それでも何でも一生懸命やる真っ直ぐな人だから。だから尚更傷付き易くもあるんだと思うの」
「………」
「…こういう事は私達が言うべきではないと思うけれど、龍葉本当にショックだったみたいだから…」
「…そう……」
葵の言葉に如月はようやくそれだけ返事をすると後は黙ってしまう。
そんな事を言われても困る、と突っぱねたかったが、どうにも何か罪悪感を感じてそれが出来なかった。
先程と打って変わって、我が家にも関わらず居心地の悪さを感じていると、小牧をいなしつつ再び京一が口を挟んだ。
「いっその事よぉ、もう引導渡してやればいいんじゃねぇのか?」
「…え?」
いきなり投げられたその言葉の意味を如月はすぐには理解出来なかった。
一瞬ぽかんとなる如月に京一はやれやれと頭を掻く。
「つまりだなぁ、その橘って子を使って一芝居打てばいいんだよ」
「一…芝居…?」
「そうそう、僕達付き合ってますってな」
「なっ…!京一っ!」
「そうすれば流石のたっちゃんだって諦めざるをえないだろ?」
その提案に如月は背筋が凍るのを感じる。
「――…そ、そんな事…」
店の空気が一気に張り詰めたような気がして僅かに息苦しく、如月がかろうじて絞り出した言葉はしかし、あっさり先を取られる。
「出来ないってか?お前付き合う気ないんだろ?迷惑がなくなっていいじゃねぇか」
京一の言葉は容赦がなく、如月は柄にも無く言葉に詰まってしまう。
「っ…だが橘さんに迷惑が…」
「友達なら頼めば何とかなんだろ」
「…―――」
如月自身一体何にそんなに焦っているのか分からないが、上手く言葉が繋げない。
「その方がたっちゃんの為にもいいと俺は思うがな」
「京一君…」
言外に批難の籠った葵の止める声や、無言で抗議の目を向ける小牧と醍醐に、京一は面倒臭そうに溜息を吐いて腕を組むと、ぶすっとする。
「お前等だってそう思わねぇか?男なんて他に幾らでもいるのに、見込みのない奴にいつまでも惚れたまんまなんてたっちゃんが可哀想だろうが」
「それは…そうかもしれないけれど……」
「たっちゃんのあんな顔、お前等はまだ見たいのかよ。そりゃ一時はこの間の比じゃねぇくらい落ち込むだろうけど、ずっと報われねぇ姿見続けるよりマシだと思わねぇか?」
京一の言う事は乱暴だが一理あるだけに、葵達は下手に反論出来ない。何より龍葉のあの落ち込み様や無理な笑顔を思うと、京一がそんな考えを持つのも分かる気がしてしまうから厄介だった。それだけ葵達にとって龍葉は大切で、あの笑顔がいつまでも曇ったままであるのは心苦しい事なのだ。
「まぁ、これは俺がそう思うだけだから無理強いはしねぇけど、でもここらで一回マジに考えてみちゃどうだ?如月」
「……僕は…」
やはり言葉に窮して如月は瞳を伏せがちに左右させる。妙な焦りばかりが浮かんできて、まるで思考が纏まらなかった。
そして結局何の返事も出来ず、そして求められないまま買物を終えた京一達を見送ると、折角開けられたにも関わらずすっかり萎えた気分に、その日は早々に店仕舞いをしてしまった。
何故、こんなにも彼女の事で気を取られねばならないのだろう。
その翌日、そんな事を思いながらも登校した如月は、重い気を背負ったまま教室の扉を開けた。本当は今朝はもう休みたい気持ちで一杯だったが、実行委員である手前そういう訳にもいかず、半ば嫌々登校する羽目になった。
「お、如月じゃん。ハハ、今日もちゃんと来たんだな」
「本当最近ちゃんと来てるよな。お前も出席日数ヤバいクチか?」
「あ、如月君!おはよー」
教室に入るなり口々に投げられる挨拶に如月は曖昧に笑みを返しながら席に着く。
如月が通う王蘭学院高校は名門進学校ではあるが、通う生徒達はそこらの高校生と何ら変わりない溌剌とした若さに溢れている。今まではそんな空間が馴染まず、何より使命を大事に捉え、当たり障りのない態度でしか級友とは付き合わなかった。そうしていつの間にか《アイスマン》等と呼ばれ敬遠されるくらい、希薄な人付き合いしかして来なかったのだが、どういう訳かここ最近は皆よく如月に話し掛けてくるようになった。今までろくに登校しなかったクラスメイトがいきなり登校し出した事への物珍しさもあるのだろうが、如月はいつもその事に戸惑ってしまう。
「ふふ、すっかり人気者ね」
如月が色んな思いを籠めて溜息を吐いていると、くすくすと笑いながら朱日がやってきた。如月が顔を上げると、最初の頃より幾分か柔らかくなったように思える笑顔を向けてくる。
「おはよう、如月君」
「…おはよう、橘さん…」
「…あら、どうかしたの?何だか元気がないみたいだけど…。昨日ちゃんと休めなかった?」
朱日とは対照的にどこか浮かない表情の如月に気付き、朱日は眉を潜める。
「いや、お陰様で休めたのは休めたよ…、ありがとう」
「何だか引っ掛かる言い方ね。何かあったの?」
「何か…?」
そう問われ、如月は不意に朱日をじっと見上げた。
同時に昨日の京一の言葉が脳裏に蘇る。
――もう引導渡してやればいいんじゃねぇのか?
目の前の朱日に協力して貰って龍葉に自分を諦めさせる。思い出すだけで何か陰鬱とする京一のその提案が。
しかし幾らクラスで一番親しくても、この生真面目な朱日に誰かを騙すように頼めるものなのだろうか。いや、そもそもどうやら自分は龍葉を騙す事自体に気が進まないらしい。例えそれが龍葉の為であっても、何か心に引っ掛かるモノがそれを拒んでいる。そのモノが何かは分からないが、感じようとすれば酷く居心地が悪く心が騒ぐモノ。
「な、何…?何か私の顔に付いてる?」
如月に憂いを秘めた瞳でいきなり見つめられ、朱日は狼狽えて少し熱くなる顔を手で探る。しかし朱日の声が聞こえていないかのように視線を外さない如月に、流石に訝んだ朱日は如月の目の前で手を振ってみる。
「ちょっと、如月君?」
「……やっぱり無理だ…」
「は?」
ぼんやりしていたと思ったら急に視線を伏せて頭を振る如月に、朱日は少々ムッとする。
「無理って何?人の顔見て失礼だわ」
「えっ?」
険を含んだ朱日の声に如月ははっと我に返ると、慌ててまた朱日を見上げる。
「あ、いや、違うんだ、そういう意味じゃなくて…」
「じゃあ何?」
「え…いや…」
咄嗟に否定したものの返答に詰まる如月に、朱日は呆れたように溜息を吐くと、くるっと背を向けて如月の席から離れた。
「…折角人が心配してあげたのに。もういいわよ」
「あ、橘さんっ…」
如月は誤解だと引き留めようとするが、同時に始業ベルが鳴ってしまい、結局朱日はそのまま一瞥もくれず自分の席に戻って行ってしまった。
「あ………」
如月はその背中をなす術もなく呆然と見送ると、肩を落として再び溜息を吐く。
本当にもう休みたい。改めてそう思ったが、登校して朱日を怒らせて、今や全ては後の祭りで、担任の教師も教室に入って来てしまった。
――本当に、昨日から龍葉の所為で散々だ。
如月は相変わらず頭痛の種である少女を思い、額を押さえた。
――全く、何故こんなにも彼女の事で気を取られねばならないのか。
続
まだ続くぜよ。
しかし何故如月はこんなにも素直じゃないのか。面白げはあっても可愛げは一切ない。こんな調子でいつになったら付き合えるんだこの二人は。いや、付き合っても龍葉相手じゃ如月はいつまでもツンデレな様子しか思い浮かばねぇぜ(笑)どうやらうちの如月は朧のEDみたいに気持ち悪いくらいデレデレになる事はありえなさそう。
そして京一と小牧も何故か必ず口喧嘩に発展してしまうという…。そして醍醐空気w
でもこの役回りは京一じゃないと出来ないかと。壬生じゃ無理。
ところで如月の王蘭学院ってどんなんでしたっけ?偏差値の高い名門ではあったような気はするんですが…。昔何かの魔人本で各校の紹介が載ってるのがあったよな…?覚えてるのは「マンモス校」の単語と「文化祭に毎年茶道部が父兄呼んで茶会を開いて大絶賛」みたいな一文とその如月のイラスト。
追記:クロニクルで各校データの頁把握。修正しました。王蘭学院は難易度A~Bの都内でも名門の進学校らしい(トップは難易度Aの皇神)。で、茶会は月例、マンモス校なんて記述なし(笑)スキー教室もあるんだってさ。ちなみに真神は難易度B~Cでした。
さて、次でやっと取り敢えずこの話は終わります。
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