初夏を迎える江戸の空は今日も青い。白い綿は細く糸を引き、お天道様は誰にも分け隔てなく笑顔を送っている。
ぶらぶらと歩きながらそんな笑顔に微笑み返していると、漆黒の髪をさらさらと揺らす心地よい風が気を引くように身体を掠めていき、意識を道の先へと引き戻される。
家屋に両側を区切られ、先程の風と往来する町人によって薄らと砂埃が舞っている褪せた砂利道の先に見え始めた目的地は、深緑の日除けと古びた看板を掲げる一軒の骨董屋だった。
喧騒の中ただ一つひっそりと佇むその姿は、看板娘である足元が頼りなく儚い少女を彷彿とさせ、つい苦笑とも呆れともつかぬ笑みが漏れてしまう。しかし、それでも自然と早まる足取りは、彼女への恋心を表している事を彼はとうに自覚しているから、その思いのままに道を駆け、早る心のまま木戸の脇の潜戸を潜った。
そして物に溢れ薄暗い店内でも真っ先に瞳が捉えたのは、微かな笑みを湛える愛しい少女。
「あ―――、いらっしゃい、龍斗さん」
「―――待たせたな、涼浬」
本日の如月骨董品店は休業。そして、外は絶好の掃除日和――――
「今日も良い天気だな」
「ええ、倉にも良い風が通って」
「今は休憩していたのか?」
「はい、そろそろ龍斗さんがお見えになる頃かと思いまして。本日の任はもう?」
「ああ、ほんの届け物だけだからな、済み次第早々に切り上げてきたよ。その後京梧に蕎麦に誘われたけど、むさ苦しい男だけで食ってられるかってな」
入ってそのまま龍斗は笑いながら草鞋を脱ぎ、商品で埋め尽くされた土間を上がりつつそれに、と付け加える。
「何より今日は涼浬との約束が重要だ」
「え…?」
「俺を呼んでくれてありがとう」
龍斗が振り返って微笑むと、涼浬は戸惑うように視線を左右させ少し俯き加減になる。
「いいえ、こちらこそ…来ていただいて、助かります…」
「はは、言ってもまぁ俺が無理強いしたみたいなもんだからな、気にしないでくれ」
龍斗が今日ここに来たのは、倉内で眠る骨董品の整理や虫干しといったいわゆる倉掃除を手伝う為だった。
しかし元々涼浬は一人でやるつもりだったらしく、龍閃組の誰にも助力を頼まなかったのだが、たまたま昨夜夕餉の後片付けを二人でしている時に聞いて、なら手伝うと息巻き、遠慮する涼浬に半ば強引に約束を取り付けたのだった。
お互いふとその時の無理なやり取りを思い出し、一寸密やかな笑みを交わす。
「俺から手伝うと言ったからには精一杯働くぞ。重い物や面倒事は全部俺に任せろな」
「ふふ、お願いします」
「そういえば、お蕎麦を断ったのならお昼はまだなのでは?大丈夫なのですか?」
先立って倉のある裏庭に向かう涼浬に問われるが、龍斗は大丈夫と首を振る。
「朝ちゃんと食ったし、届け物した先で饅頭も食わして貰ったしまだ平気だ。――ああでも、終わる頃には確実に腹減ってるだろうなぁ」
おどけるように言って龍斗は物言いたげな視線を涼浬に投げる。
涼浬はそれに気付いたのか一瞬目を丸くしたが、理解は出来なかったようで無言の催促はあっさりとかわされた。
「ええ、恐らくそうなるでしょう。しかしその分夕餉は美味しくなるかもしれませんよ。今日の献立は何でしょうね」
「はは…、い、芋系がいいかな…」
涼浬からの誘いを期待した龍斗はがくりと肩を落とし溜息を吐く。
龍斗は基本正直で素直な物言いをするが、たまには好いた相手からの色好い反応が見たくてこういう駆け引きを仕掛けてみる事がある。だがそれも涼浬相手には梨の礫で、大抵こんな肩透かしな結果に終わってしまう。やはり先程のような、嬉しいやありがとうといった直接的な言葉でないと涼浬には伝わらないらしい。龍斗は前を歩く華奢な背中を物憂げに見つめた。
自身をそのたった一言で一喜一憂させる目の前の少女には、年の割りにはしっかりしているようで、でも何事もどこかしら抜けた箇所があるのだ。使命に忠実なのは良い事だが盲目的になり過ぎるし、素直に人の言う事を聞いていると思えば妙な所で頑固だ。骨董を商いはするが目利きは駄目で、任務以外の会話はいつもどこか的はずれ。十六にしては大人びた外見だが、そういった面を鑑みると、やはり彼女は年相応のまだ少女なのだと気付く。おまけに今まで任務一筋に生きてきたのだ。色恋事などに疎くても無理からぬ事だろうし、極めつけは奈涸という過保護な兄の存在。
ただでさえ鈍い彼女には、やはり直接的な言動で思いを示すしかないのか。
「…龍斗さん?聞いていますか?」
「…え?あ、何?」
訝しむ声にはっとして顔を上げると、涼浬が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「……どうかなさいましたか?何やら表情が優れないようですが…」
「あ、あぁごめん、何でもない。ちょっと考え事してただけだ」
まさか涼浬の事で悶々としていたとは言える筈が無く、取り繕うように笑顔を作ると、まだ不審そうにしながらもそうですか、と涼浬は再び前を向く。
「では、残りの物を運ぶのを手伝っていただけますか?」
「え?」
言われて龍斗はいつの間にか裏庭の倉の前に到着していた事に気が付いた。
庭には等間隔に御座が広げてあり、その上に涼浬が一人で運び出したのであろう骨董品が並べられている。
「龍斗さん、本当に大丈夫ですか?」
もう既に壺の一つを持って倉から出てきた涼浬にひたすら怪訝そうに言われ、龍斗は自分から役に立つと宣言しておいてのこの体たらくに恥じ入って、これでは駄目だと雑念を振り払うように頭を強く振ると、きっ、と倉を見据え腕捲りをした。
「本当にごめん涼浬。さぁ、やるぞ!」
「えっ、あ、はい、お願いします…」
作業は、半分以上は涼浬一人で既に運び終わっていた為、男手が加わると一気に捗り、一刻もしない内に倉の中の物は粗方出し尽くせた。次は最初に出して虫干しが終わっている物から順に片付けて行く作業に入る。もう昼を過ぎているが、この調子なら夕刻には十分終わるだろう。
「お、中々重いな。これを涼浬一人で運んだのか……ん?」
龍斗が重い物から選んで倉に向かうと、丁度涼浬が一番奥の棚の最上段に桐箱を置こうとしている所だった。しかし踏み台に乗って腕と背を伸ばしているが、後少し足りないようで足元がふらふらとしている。骨董品は貴重で大切な商品だから、投げたりぶつけたり乱暴な扱いは出来ないのだろう。だから高い所の物を下ろすのは少し手が届けばどうにかなるが、元に戻す時は一苦労に違いない。
そういう時こそ自分を呼べばいいのに、と龍斗はやれやれと持っていた銅製の置物を置くと、涼浬の元へ向かった。そして何の気なしに後ろから踏み台の空いた場所に足を乗せると、にゅっと手を伸ばして涼浬の手から桐箱を取り上げて丁寧に戻す。
「…これでよし。涼浬、こういう時こそ俺を…―――」
男らしい働きをした事に得意気になる龍斗だが、瞬間はっ、として目を見張ると、桐箱に手を掛けた体勢のまま固まってしまった。
気付けば今や龍斗の身体が感じるのは密着してしまった涼浬の背中と体温のみ。
己の行動を理解し、さっと血の気が引いた。それでもすぐにどけば良かったのだが、半ば混乱してしまった龍斗にはそんな考えは及ばず、涼浬の方を見る事も出来ないままただ硬直するしかなかった。涼浬も涼浬で何も言わず黙っているから、尚更どうすればよいのか分からなくなる。
もう自身の早まる心音以外全ての物音は消失し、五感は全て涼浬に集中してしまい、ごくりと喉が鳴った。
「…あ…あの…」
しかし一瞬か永遠か分からない沈黙を先に破ったのは涼浬だった。困惑の色が濃いか細い声に龍斗はようやく我に返り顔を下ろしだが、その先で今度は逆に振り向き見上げてくる涼浬と極間近で見合ってしまい驚愕する。
「っ…――――?!」
当然の如くお互い更に赤面して、今度こそ龍斗は飛び退いた。
「ごっ…ごめん!!」
「あっ―――!」
しかし余りにも勢い良く飛び退いた所為で、手を掛けたままだった桐箱は弾みで宙に舞い、龍斗が尻餅を衝くのとほぼ同時に床に落ちて、くぐもった陶器の割れる音が響いた。
「あ…」
龍斗は間抜けた声を出し暫し呆然とする。だが何に対して呆然としているかは自身でも判じられないが。
そんな龍斗の頭上から密やかな溜息が聞こえたかと思うと、微笑を浮かべた涼浬が踏み台から降りて側にしゃがみ込んできた。
「全く…大丈夫ですか?」
「す、涼浬っ…あのっ…」
「ふふ、何だか今日は龍斗さんを心配してばかりです。お皿の事、気にしないで下さい。これはそれ程価値のある物ではありませんから」
「あ……」
涼浬は怒った様子もなく微笑ってくれるが、龍斗は今日一日の余りの不甲斐なさに面伏せると、くるりと背中を向けて下唇を噛み締めた。
「龍斗さん?」
「……格好悪ぃ…」
龍斗はぼそりと呟く。
「え…?」
「本当に…ごめん涼浬……俺…役立たずもいいとこだよな…」
「龍斗さん…」
涼浬の事を鈍いだの抜けてるだの子供だの言える立場ではない。これでは自分の方が余程幼く頼りないではないか。まだ怒って貰えれば気も楽だが、それすらないから、悔しいやら情けないやらでとても顔を会わせられなかった。
そんな自己嫌悪に陥っていると、そっと肩に温もりが触れる。
「…そんな事ありませんよ。龍斗さんは十分私を助けて下さっています」
「そんな訳ないだろ…」
「何故?」
「ぼうっとして心配かけるし、大事な商品駄目にするし…それに……」
涼浬の身体の感触を思い出し龍斗は頬を赤らめるが、益々自己嫌悪に陥り小さく背中を丸める。
「それは…確かに驚きましたけど、龍斗さんが良かれと思ってして下さった事でしょう?それを悪く思うなど…」
「けど…」
「それに、今日龍斗さんがわざわざ手伝いに来て下さった事だけでも、私はとても感謝しています。一人では本当に骨折りでしたから」
子供に対するそれのような涼浬の気遣いと慰めに、一体どちらが年長なのか分からなくなる。それでも今の自分にはそれがお似合いだと、龍斗は自嘲めいた笑みを漏らすと大人しく頭を下げた。
「…ごめん…ありがとう……」
もっとしっかりした頼り甲斐のある男になりたいと思う。
腕の強さだけじゃない、足元が頼りなく儚いこの少女が安心して身体も心も預けてくれるくらい、真に強い男に。
「涼浬…」
「はい?」
龍斗は自身を戒めるとようやく少し振り向いて横目で涼浬を見る。
涼浬の微かに笑んだまま小首を傾げるその仕草に切ないまでの愛しさが溢れるが、今は触れる資格さえ無いと、眉間を寄せて苦笑すると膝を叩いて立ち上がった。
「続き、やろうか」
「え?…あ、はい」
「取り合えず俺、これ片付けてくるな」
「あ、私が…」
「いいって。俺が割っちゃったんだし。それに本来なら弁償物なんだしな…」
腕を伸ばして来る涼浬を止めると、龍斗はがちゃがちゃと音のする桐箱を片手に外へ向かう。
しかし倉を出ようとした時不意に涼浬に呼び止められ、歩を止めて振り返る。
「あの、龍斗さん」
「…?」
「よろしかったらこの後、今日のお礼に何かご馳走させてくださいませんか?」
「えっ…」
「お腹も空いてらっしゃるでしょうし、私でよければ、そうですね……夕餉前ですが芋の煮っころがしでもお作りしましょう」
「……―――」
――ああ、これは堪らないな…―――
先程までの靄を霧散させてしまう程柔らかく細められた瞳と微笑に、龍斗は目眩を起こしそうなくらい甘い感覚を覚え、その優しさに泣きたくなる。
本当に自分はこの少女を好いているのだと思い知らされ、龍斗はきっと赤いだろう顔を隠すように俯くと、くしゃっと前髪を掻き掴かみぽつりと呟いた。
「…本当に…涼浬には敵わないな…」
「え?」
つくづくこの少女は自身を一喜一憂させる天才だと思う。気を引きたいのに惹かれるのはいつもこちらで、気が付けばいつもただ必死で背中を追いかけている。
彼女は気付いているのだろうか。その言葉と微笑みがどれ程自分に力を与え、また奪う事も出来る強力な武器であるのか。
「龍斗さん?…やはり外食の方がよろしいですか?」
心を捕らえ惑わせる涼浬。誰よりも愛おしくて大切な少女。
溢れてくる思いを今は飲み込むしかないけれど、いつか誰よりも頼もしくなって、思いの分だけ抱き締めたい。
龍斗は泣きそうになるのを堪えて顔を上げると、涼浬に精一杯の笑顔を向けた。
「涼浬の手作りがいいな」
「――はい、分かりました」
こんな風に甘やかしてくれるなら、いっそ今日はもうそれでいい。だけど明日からは、もうこんな事はないように。
強くなる――――
密かな誓いを胸に秘めて。
終
あれ?途中からたっちゃんがヘタレになっちゃったんだぜ?w
てか涼浬が大人だ(笑)
最初はもっとかっこいくて押せ押せなたっちゃんになる予定だったのに…。でもね、この龍斗と涼浬は友人としての仲は物凄く良好なんですよ。
[6回]
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